Web自体が楽しいんじゃなかったっけ?
デザイナーが保守的になっちゃだめだ。既視感の多さに危機感を感じる。
デザインが保守的なのとデザイナーが保守的になることとは、果てしなく大きな差がある。
ここ最近、競合プレゼン案件が重なっていました。
勝ちにいかなきゃ仕事につながらないから、プレゼンにまずは勝つためにそれなりの方策や全方位的なリサーチ行程に多くの時間を割くことになります。
そういう状況のとき、
「機能的なデザインがイコール保守的なデザインである」という前提で考えてしまっては、デザイン案をプレゼンテーションすることが客にとって無意味なことになるんじゃないだろうか。
いったんテーブルを綺麗にして、なにもない状態から考えをスタートさせたいのです。
今トレンドになっているUIとか、デザインセオリーとか、更新前の現行サイトの中身とか、そういうものをまずは引き出しにきちんとしまっておく。そして外からなにかをもってくる。
そういうアプローチはふつうのことだと思っていたのに、いつのまにかWebはルールや目に見えない原理原則に縛られすぎていて、守らなくちゃいけない約束事や最低限実装しなくちゃならない旬なメソッドであふれてしまった。いわくそれがプロっぽさを訴求するためのハードルなのだと誰かが口に出しそうな勢いです。論点が混ざってしまって透明度が低い人がときどき現れる。
ハードルとルールは違うよな。
企画書にWebの技術的なことなど一切書きたくない。その技術が結果的にお客の利益拡大につながるという理由があったとしても、そのためにバックエンド的なことを説明するのは見誤りの始まりになる。
工業デザイン言語的なユニバーサルデザイン臭ただようどう考えても「使いやすいですね」としかいいようのないサイトが多くなってしまって、それがとにかくツマラナイのです。
Webに触れること自体がコモディティ化してしまったのなら、「体験する楽しさ」をまたもっと別のところから探してこなくちゃならないのか。
僕はまだWebそのものが楽しくてしかたがない。